マルコによる福音書


「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(マルコ1617

 

復活したイエス様が、弟子たちの不信仰とかたくなな心を、おとがめになった、とあります。かたくななとは、硬い心、頑固な心、変わろうとしない心です。しかし、だからといって、イエス様は注意をしましたが、否定はされていません。

弟子たちは、誰もが最初は、かたくなな心なのです。しかし、それでも神さまに愛されて、柔らかい心、自由な心に変わっていくのです。「これほどまで愛されているんだ」という喜びが、柔らかい心にされていくのです。

 「彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。」(マルコ1617)とあります。悪霊とは、自分を否定したり、命の価値を軽んじる働きをします。神さまの御心とは逆のことをします。例えば、「あなたには価値がない」と囁くのは、悪霊の働きでしょう。神さまは、「あなたは大切な存在」と語りかけるのです。どんな時も、神さまは愛なる方であり、愛を語ります。

 

 新しい言葉とは、聖書の言葉と、福音の言葉でしょう。教会で毎週日曜日語られる言葉も、新しい言葉です。聖書の言葉も、私たちは、繰り返し読むことによって、イエス様の息遣いや、イエス様の仕草、イエス様の香りを感じることができます。