マルコによる福音書


ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコ10:2-9)

 

好きという感情は、相手が自分にとって好ましい存在であるから、好きということです。好ましさを失ってしまえば、「さようなら」になってしまいます。しかし、愛するということは、たとえ好ましさを失ったとしても、相手が相手である限り、寄り添い続けることです。結婚だけに限らず、私たちが出会う相手は、自分で選んだ相手ではなく、神さまが出会わせてくれた相手です。自分と考え方と違う人との出会いは、成長と学びの時。人生で無駄な出会いは一つもないのです。

 

黙想

・相手が自分にとって好ましいからということで、相手を受け入れるのが、好き。

・相手が全ての好ましさを失っても、相手が相手である限り寄り添い続けるのが愛。

・結婚だけに限らず、私たちが出会う相手は、自分で選んだ相手ではなく、神さまが出会わせてくれた相手です。

 

参考リンク

片柳弘史神父のブログ、バイブル・エッセイを参照しました。

 

https://hiroshisj.hatenablog.com/entry/20151004/1443966423